スポーツの雑学60選まとめ!

今回はスポーツの雑学60選を紹介いたします!

スポーツの歴史やアスリートにまつわる雑学をレベルに分けて紹介しますので、最後までぜひお楽しみください♪

以下、目次となります!

 

スポーツの雑学まとめ|初級編

1:バスケゴールにバックボードがついているのは、観客の妨害を防ぐため

バスケのゴールにはもともとバックボードがついておらず、観客が手足を伸ばして、敵チームのシュートを妨害するということが頻発しました。

そこで、ゴールの背面に金網や木でできたバックボードが付けられるようになり、現在では試合を見やすいように透明のバックボードが採用されています。

いくら熱狂しても試合に介入してはいけません!

 

2:運動会はストレスを発散するためにできた

イギリス海軍顧問団の団長として日本に滞在していたアーチボルド・ルシアス・ダグラスは、海軍兵学寮の学生たちのストレスを発散させるために運動することを推奨しました。

そこで1874年に開催された「競闘遊戯会」が日本で最初の運動会といわれています。

当時の日本にはスポーツの習慣がなく、授業も座学ばかりで身体を動かす機会が少なかったそうです。

 

3:サッカーボールの白黒模様はテレビのためにつけられた

テレビ放送が普及し始めた時期はまだ画面がモノクロであり、白や茶色一色のボールでは画面で見えにくいという問題がありました。

そこで、テレビ中継の時にボールが見えやすいように白黒に色分けされたサッカーボールがデザインされました。

白黒のサッカーボールは従来のボールに比べてより球体に近く、土のグラウンドでも見分けられやすいため選手にも人気で、一般化されました。

白黒にデザインされたボールはアディダス製の「テルスター(Telstar)」というモデルで、テレビで注目を浴びる「テレビのスター」という意味が込められていたそうです!

 

4:かくれんぼの世界大会がある

「Nascondino World Championship」というかくれんぼの世界大会が毎年イタリアで行われています。

大自然に囲まれたフィールドに、設置されたアイテムを駆使しながら、鬼役となる屈強なスポーツ選手から身を隠します。

ルールは「缶蹴り」に近いもので、5人1組となり、制限時間内に所定の場所にタッチするとポイントが加算されるシステムで、戦いは3日間にわたり繰り広げられるそうです。

大会には世界中から300人近くかくれんぼ自慢の大人たちが集まるそうです!

 

5:バンジージャンプが生まれたきっかけは夫婦のいざこざだった

バンジージャンプの起源はバヌアツ共和国のペンテコスト島で行われる成人の儀式である「ナゴール」だといわれています。

足にツタをくくりつけて、高く組んだやぐらから飛び降りるというナゴールの儀式が始まったきっかけは、暴力をふるう夫から逃げる妻が木から飛び降りたという出来事で、そのとき夫は妻を追って飛び降り命を落としましたが、妻はとっさにツタで足を縛っていたため助かりました。

なぜそんな事件が成人の通過儀礼へと変化していったのかは謎です。

 

6:ボーリングのピンを直す仕事は高給だった

日本でボウリング場がオープンしたのは1952年のことで、当時は自動でピンを立てるようなシステムはなく、「ピンボーイ」と呼ばれる人が人力でピンを立てていました。

ピンボーイはピンのすぐ裏側で待機していたため、転がってきたボールやピンが直撃して大怪我をすることもあり、小学校教師の初任給が5850円だった時代に、ピンボーイは月給1万円という高給をもらっていたそうです。

ピンボーイたちが人柱となり今の安全なボウリング場が成り立っているのですね。

 

7:競技用プールは波が立ちにくい

オリンピックなど国際大会で使用するプールは、選手のパフォーマンスを最大限に発揮するため波が立ちにくいように設計されています。

ひとつは水面の高さとプールサイドの高さを同じにすることで、波の跳ね返りを抑えており、もう一つはコースロープの形状を水車のようにし、回転させることで波を吸収しているのだそうです。

記録というものはアスリートの努力だけではなく、周囲のサポートや研究の積み重ねも合わさって生まれるものなのです!

 

8:アスリートの間でもネイルが流行っている

アスリートがネイルをする目的はおしゃれのためだけではなく、爪を保護して競技により集中するために行っています。

走行時の足への負担や、選手同士接触した際の衝撃など、アスリートは爪を傷めることも多いため、爪を守ることで最大限の力やパフォーマンスを発揮することにつながります。

2015年には「一般社団法人アスリートネイル協会」が設立されていて、「ネイルトレーナー」などの資格認定なども行われているそうです!

 

9:四角いオリンピックメダルがあった

オリンピックのメダルといえば丸い形が思い浮かびますが、1900年にフランスのパリで行われた夏季オリンピックでは、四角い形のメダルのデザインが採用されました。

四角いオリンピックメダルが採用されたのはこの大会のみで、後にも先にも登場していません。

さすがはファッションの最先端を発信するオシャレの街パリですね!

 

10:バレーボールを世界一製造しているのは広島県である

広島はバレーボールの製造において世界一のシェアを誇っています。

国際大会で使われている公式球のメーカー「ミカサ」社と、シェアを分け合う「モルテン」社は、どちらも本社を広島市に構えており、この世のほとんどのバレーボールは広島で作られています。

広島は江戸時代から針を作る産業が盛んな地域で、ゴムの輸入も多かったことからボール産業が発展していったそうです!

 

11:フィギュアスケートの衣装は露出し過ぎると減点になる

フィギュアスケートでは、国際スケート連盟(ISU)によって衣装がルールで縛られており、過度に肌を露出したり裸体を連想させるデザインのものは品位を損なうとして減点の対象になります。

また、男性のタイツ着用や、仮面やアクセサリーなどの小道具の使用、電飾の使用などすべて禁止されており、衣装に関するルールは細かく定められています。

ちなみに規定違反をしてしまうと、競技中の「転倒」と同等の1点が減点になります。

2012年の全日本大会では、高橋大輔選手の衣装についていた羽が競技中に1枚外れてしまい1点減点となった例があります。シビアですね!

 

12:柔道には「黒帯」よりもまだ上がある

柔道の帯の色は4級以下は「白帯」、3~1級は「茶帯」で、初段~五段の段位がつくと「黒帯」へと変わっていきます。

しかし段位にはまだ続きがあり、六段~八段は「紅白帯」、九段~十段は「紅帯」となり、紅帯が最高段位となります。

紅白帯以上の帯を身につけるには、柔道の技術だけではなく試合の成績や、審判や指導の実績など柔道界への貢献度も必要な要素であるため、非常に狭き門であるといえます。

柔道の歴史の中でも紅帯の保有者は十数名のみなのだそうです!

 

13:「位置について よーい ドン」の掛け声は一般公募によって決まった

運動会や競技で使われるスタート合図は、地域によって様々な文言がつかれていましたが、どれも定着することはありませんでした。

そこで、1927年にスタート合図を統一するために日本陸上競技連盟が一般公募したところ、東京都の山田秀夫さん(当時19歳)が応募した「位置について よーい ドン」が採用されました。

当時から英語の「On your marks, Set」もすでに使われていたそうですが、当時は日本語の合図が求められたとのことです。

 

14:マイケル・ジョーダンはプロ野球選手だった時期がある

マイケル・ジョーダンは「バスケットボールの神様」とも崇められ、言わずと知れた90年代のNBAを代表するスーパースターです。

史上最高のバスケットボール選手とも名高い彼は、全盛期の真っ只中に突然引退を表明し、短期間ではありますが野球界への転身を果たします。

その後1995年にバスケ界に復帰し、98年に再び引退、2001年に2度目の復帰をし、2003年に40歳で現役人生に幕を引きます。

 

15:ドッジボールの「ドッジ」とは「避ける」という意味である

ドッジボールのドッジ(dodge)とは、英語で「素早く身をかわす」という意味合いの言葉です。

ドッジボールを漢字で書く場合、避ける球と書いて「避球(ひきゅう)」と書かれます。

ボールをぶつける方ではなく避ける方がメインなのです!

 

16:レスリング選手はハンカチを持っていないと失格になる

レスリングのルールでは止血用に白いハンカチを持っていなければいけないというルールがあります。

試合が始まる前には、審判が必ずハンカチの所持を確認しています。

激しいぶつかり合いの中にもジェントルマンシップが垣間見えます!

 

17:卓球ラケットのサイズや形に決まりはない

卓球のラケットは大きさや形状に制限はありません。

そのため、どんなに大きく、どんな形のラケットを使用してもルール上は問題ありません。

ただし、ラケット本体は平坦で堅い木製であり、85%以上は天然の木でなければならないという制限があります。

ラケットが科学力で強化されすぎるとラリーが続かなくなる懸念があり、威力を抑える目的で天然の木が指定されているそうです!

 

18:野球の監督はもともと選手と兼任するものだった

野球が発足したばかりの時代は、チームの監督は選手が兼任していました。

そして、チームを指揮していたのは主にチームのキャプテンであり、現在も野球の監督がユニフォームを着用しているのはその名残だといわれています。

ルールブックには監督の服装に関する規定はないため服装は自由ですが、ユニフォーム姿の方が一体感は生まれますね!

 

19:「ラグビー」とは学校の名前だった

ラグビーの起源は、フットボールの試合中にボールを抱えて走ってしまったことがきっかけだとされています。

そしてその選手がいた学校がイングランドの「ラグビー校」であり、学校名がそのままスポーツ名となりました。

試合中の違反行為が別のスポーツとして発展していくという珍しい事例です。ルールからはみ出すことで新しいものは生まれるのでしょう!

 

20:オリンピック金メダリストの最高齢記録は64歳

オリンピックの最高齢の金メダリストは、1912年のストックホルム大会の射撃で金メダルを獲得したスウェーデンのオスカー・スバーン選手です。

その時の年齢が64歳であり、金メダリストの最高齢記録となっています。

なんとその8年後、スバーン選手は72歳で銀メダルを獲得し、銀メダルの最年長記録も獲得しています!

 

 

スポーツの雑学まとめ|中級編

1:「皇居ラン」を流行らせたのは銀座のホステスだった

1964年の東京オリンピックで、日本選手が銅メダルを獲ったことで日本ではランニングが流行りはじめました。

その流れで「皇居一周マラソン」というイベントが開催された際に、銀座のホステスが多く参加したことが話題となり、ニュースで取り上げられたことで皇居でのランニングが世間に広まりました。

皇居周辺は信号がなくコースも走りやすく、おまけにアクセスの良さからも都内のランナーに人気で、多い日には1万人もの人が走っているそうです!

 

2:駅伝誕生のきっかけは引っ越しだった

数人が長距離をリレー形式で走る「駅伝競走」は、日本の歴史上最大級の引越しがきっかけで誕生したといわれています。

その引っ越しとは、明治時代に行われた明治維新での天皇の引っ越しであり、首都が京都から東京へと移されたことにともない、数千人の人が京都から東京へと大移動しました。

そして、首都が移されてから50周年を記念して、1917年に日本初の駅伝が開催されました。

昔の駅伝は現代とは比べ物にならないほど距離があり、京都から東京までの500㎞以上の距離を23人のチームでたすきをつないで走るという過酷なものでした。

 

3:大相撲の「東と西」の立ち位置は実際には「北と南」である

大相撲の取り組み前に「東~」「西~」と呼び込みがありますが、「東」の立ち位置は実際の「北」の方角に、「西」は「南」の方角に位置しています。

これは、天皇陛下が観覧される貴賓席の位置が関係しており、古来から伝わる「天子は南面す(てんしはなんめんす)」という言葉のとおり、「天皇陛下は北を背にして南を向いていなければならない」という考えがあります。

それに従い、両国国技館での方角設定は貴賓席が基準になっています。

「南面す」とは不動の存在である北極星を背にして、「陽の方位」である南を向くことを意味しているそうです。

天皇視点で日が昇る「東」が左手側に来るため、日本では伝統的に左の方が上位とされているのです!

 

4:ラグビーの「トライ」は元々得点にならなかった

ラグビーで相手のゴールエリア内にボールを地面に接地させることを「トライ」と呼びますが、得点を決めているのに「トライ」と呼ぶのは、元々は「得点への挑戦権を得る」という意味だったためです。

現代のルールではトライで5点入り、「コンバージョン」というゴールへのキック権が与えられ、これを決めるとさらに2点が加算されます。

しかし、初期のルールではトライだけでは得点にならず、コンバージョンキックが成功して初めて得点になっていました。

トライだけでも相当な労力を要しますが、0点だった時代があったとは驚きです。

 

5:ポロシャツはテニス用につくられた

ポロシャツは馬に乗って行う団体球技「ポロ」を行う時に着用するシャツという意味で「ポロシャツ」と呼ばれていますが、その起源は「テニス用シャツ」だったといわれています。

テニスは紳士のスポーツということもあり、昔は長袖の白シャツにパンツスタイルといういわば正装でプレイされていましたが、さすがに動きづらく、他に適した服装がないかと目をつけられたのが、ポロ選手が着ていたジャージ素材のシャツでした。

そして、これにフォーマル感をプラスするために襟をつけたものがテニスウェアとして広まり、それをまたポロが逆輸入する形で取り入れて「ポロシャツ」と呼ばれるようになりました。

このポロシャツを生み出し世に広めた人物こそ、フランスのテニスプレーヤーであり、「ラコステ」のブランド創設者であるルネ・ラコステ氏です!

 

6:水泳帽を作ったのはおむつカバーのメーカーだった

水泳帽を日本に普及させたのは東京の墨田区に本社を置くフットマーク株式会社だといわれています。

同社は元々おむつの漏れを防ぐビニール製のおむつカバーを作っていましたが、夏場は蒸れて売り上げが上がらないことから、学校で使用する水泳帽の製作に着手しました。

するとその品質が日本水泳連盟に推薦され、日本一のシェアを占める商品となりました。

おむつカバーで使用していた素材は水泳帽にも適しており、赤や黄色など水の中でも目立つ色は指導者の見落としを防ぐことができ、生徒の安全も守っていたようです!

 

7:「放送席!」と2回繰り返すのは音量調節のため

プロ野球のヒーローインタビューの前に、アナウンサーが「放送席、放送席」と2回繰り返しますが、これはマイクの音量調節のために行っています。

野球の試合はテレビだけでなくラジオなど様々な放送局で中継されますが、局によって音量のバラつきが出てしまうため、1度目の「放送席」は開始の合図として呼びかけ、2度目で音量調節ができるようにと、2度繰り返すのが慣習になっていったといわれています。

現在ではインタビュー前に音声の調整がされているため2度言う必要はなくなっているそうです。

ちなみにヒーローインタビューを最初に始めたのは日本ハムファイターズなのだとか。

 

8:円陣での掛け声は逆効果である

スポーツの試合前などに、士気を高めるために円陣を組んで気合を入れる姿をよく目にしますが、円陣を組んで掛け声を出すのは逆効果だといわれています。

円陣を組んで大声を出すと、脳のアドレナリンやドーパミンが過剰に分泌され、試合前の興奮状態をさらに助長させてしまいます。

その結果、判断力の低下や視野を狭めてしまい、ミスにつながることでパフォーマンスを低下させる恐れがあります。

テンションも大事ですが、試合前の円陣では冷静に作戦を確認し合う時間にしましょう!

 

9:サーファーには納豆アレルギーが多い

横浜市立大学附属病院の調査によると、2004~2014年に診察した納豆アレルギーの患者のうち、7割がサーファーだったという調査結果があります。

その原因はクラゲで、クラゲの触手には納豆アレルギーの原因物質が含まれ、クラゲに刺されることで原因物質が体内に残り、アレルギーを発症してしまいます。

つまり、サーファーやダイバーなど海で過ごす時間が長くなるほどクラゲに刺される確率が高まり、それに比例して納豆アレルギーを発症する可能性が高まります。

アレルギー反応には個人差がありますが、症状が重いとじんましんや呼吸困難などのアナフィラキシーショックを起こす恐れもあるので、海によく行く方やクラゲに刺されやすい人は要注意です!

 

10:「ワッフルの型」で人類は足が速くなった

世界的スポーツブランド「ナイキ」はスタンフォード大学の学生のフィル・ナイトと、オレゴン大学で陸上コーチをしていたビル・バウワーマンの2人により創業されました。

彼らがシューズを開発していた当時は、靴のソールには溝がなく貧弱なものでした。

ソールに適した素材を探していたビルは、自宅にあったワッフル型を見てひらめき、ワッフルのような形状にゴムを加工し靴の裏につけたところ、走るスピードが上がったそうです。

ちなみにフィルは1963年に卒業旅行で日本を訪れており、神戸でオニツカタイガー(アシックス)の靴の品質に感銘を受け、販売権を取得しアメリカでオニツカタイガーのシューズを販売していたそうです!

 

11:やり投げの最高記録は出ないようになっている

過去にやり投げ競技は記録が伸びつづけて100mを超すようになりました。そのまま記録が伸び続けるとやりがフィールド内に収まらなくなり、危険視されるようになりました。

そこで、1986年にやりの規格が変更され、やりの重心をずらしたことによって100m以上の記録が出ないように調整されました。

そのため1984年のウベ・ホーン選手の104m80cm以降、人類最高記録が更新されることはありません。

記録を伸ばすために改良を加えるのが一般的ですが、逆のパターンもあるんですね。

 

12:金メダルは銀製である

オリンピック憲章をサポートしているIOCのメダルに関する決まりでは、「メダルは、少なくとも直径60ミリ、厚さ3ミリでなければならない。1位および2位のメダルは銀製で、少なくとも純度1,000分の925であるものでなければならない。また、1位のメダルは少なくとも6グラムの純金で金張り(又はメッキ)が施されていなければならない。」と記されています。

金メダルを純金にしてしまうと1個200万円以上のコストがかかり、オリンピック運営の負担にもなってしまうため、金メダルは銀製で金メッキを施したものになっています。

各メダルの材料費は金が4~5万円、銀は2万円、銅300円というコストでまかなわれているそうです!

 

13:聖火はギリシャのアテネから毎回運ばれている

オリンピックのシンボルである聖火は、オリンピック発祥の地ギリシャのアテネで太陽光を利用して採火され、開催国まで絶やさないように運ばれていきます。

通常飛行機では火の持ち込みができませんが、聖火だけは特例で持ち込むことができ、2012年のロンドンオリンピックの際には携帯用ランプを客席に固定させる形でイギリスへと運ばれました。

聖火が開催国まで運ばれてくるまでのドキュメンタリーがあったら見ごたえありそうですね。

 

14:日本で初めてビールかけをした球団は南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)

1959年に南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)が優勝したとき、カールトン半田選手が行ったビールかけが日本初とされています。

もともとアメリカでは、「シャンパンファイト」というシャンパンをかけあって喜びを分かち合う風習があり、カールトン選手はシャンパンの代わりにビールをかけて喜びを表現しようとしたそうです。

今では定番となっていますが、一人の選手が始めた風習だったのですね!

 

15:バドミントンのスマッシュの最高速度は時速400キロを超える

マレーシアのタン・ブンホン選手が出した時速493㎞(初速度)という記録がギネスに認定されています。

ただ、400㎞という速度は一定の条件がそろった上で計測された数値ですが、実際の試合でも300㎞近い弾速の応酬が繰り広げられています。

いったいどんな動体視力をしているのでしょう!走行中の電車の窓からでも中の様子がわかりそうです。

 

16:ラジオ体操第二は大人向けだった

ラジオ体操は、昭和天皇の即位を記念して、国民の体力向上と健康の保持を目的として1928年に始まりました。

その後少しずつ形を変えながら、現在のラジオ体操第一が1951年に誕生しましたが、「下半身の運動が少ない」「運動量が物足りない」などの意見が上がり、翌年には大人に向けて現在のラジオ体操第二が生まれました。

実はラジオ体操にはさらにレベルが上の第三がありましたが、高度で複雑な動きは定着せず、消えていきました。

 

17:有明アリーナの屋根の形はただのデザインではない

2020年の東京オリンピック・パラリンピックのために、都内には「新国立競技場」をはじめ様々な施設が建設されました。

その中でも「有明アリーナ」反り返った屋根が斬新なデザインとして話題になりましたが、これは施設内の体積を減らして空調を効きやすくするためのもので、

さらには周辺のタワーマンションに配慮して、日光が外側に反射しない形に設計されているのだそうです。

機能性とデザイン性を兼ね合わせ、さらには周辺住民への配慮も忘れないというジャパニーズスピリット溢れる施設です。

 

18:ゴルフボールの凹凸は飛距離を伸ばすためについている

ゴルフは19世紀のイギリスで大流行し、当初は凹凸のないボールが使われていました。

しかし、繰り返し使われた傷のあるボールがよく飛ぶことに気づき、ボールの表面に意図的にくぼみをつけるようになり、現在はディンプルと呼ばれる凹凸のあるボールが一般化していきました。

ディンプルには空気抵抗の軽減と揚力を増加させる役割があり、あるのとないのとでは飛距離が2倍以上も違うといわれます!

 

19:オリンピックには芸術競技があった

オリンピックは世界的なスポーツ大会ですが、過去には芸術作品の順位を競う芸術競技がありました。

実際に芸術競技が行われていたのは1912年のストックホルム大会から1948年のロンドン大会までの計7回であり、絵画、彫刻、文学、建築、音楽の5種目でスポーツを題材に順位を競うというものでした。

古代オリンピックは髪を讃えるという信仰的な要素が強く、スポーツ同様に芸術での表現も神を表現する手段のひとつでした。

芸術作品は移動時のスケジュール調整や品質管理が難しく、客観的な採点も難しいことから正式な競技から外れることになったそうです。

 

20:始球式では必ず空振りする理由は大隈重信だった

野球の試合の開始前には、来賓が投手として投球を行うセレモニーとして、始球式が行われます。

その始球式ではどんな投球に対しても打者は必ず空振りするのが慣例となっていますが、これは日本最初の始球式で投球を行ったのが政治家の大隈重信であり、その威厳の強さから打者は空振りするしかなかったという逸話に由来しているといわれています。

まさに忖度!日本人らしい慣習ですね。

 

スポーツの雑学まとめ|上級編

1:駅伝で暴走した警察官がいた

箱根駅伝の第2回大会にて、沿道の盛り上がりに触発された警察官が選手とともに走り出したという珍事件が起こりました。

突然の暴走により当然現場は大混乱となり、その責任を負って彼jは警察官を辞職しました。

しかしその後、警察官を辞めた彼は日本大学に入学し、正規のルートから箱根駅伝への出場を果たすという偉業を成し遂げました。

その元警察官の名は前田喜太平さんで、第3回、第4回、第6回大会に出場しており、第6回大会では2区を走り区間賞にも輝きました!

 

2:昨今のマラソンではゴミを減らす取り組みをしている

昨今、ペットボトルなどのプラスチックゴミが環境汚染を引き起こし世界的にも問題視されています。

そんな中、イギリスのロンドンで2019年に行われたマラソン大会では「食べられるカプセル」が導入されました。

このロンドンマラソンには毎年世界中から約4万人ものランナーが集まるため、給水所で配られるペットボトルのゴミが大量に出てしまい問題となっていました。

しかし、カプセル飲料を導入したことで20万本ものペットボトルゴミを削減することができたそうです。

このカプセルは植物や海藻から抽出した素材からできており、中の水を飲んだ後カプセルを食べても害はなく、道端に捨てられても1か月ほどで自然に分解されるそうです!

 

3:本場所の土俵には全国すべて同じ土が使われている

大相撲の本場所は、東京、大阪、名古屋、福岡の4都市で行われますが、土俵には全国すべて同じ土が使われています。

これは同じ土を使うことで土俵のコンディションを統一し、同じ条件で取り組みを行うためのもので、2017年から始まった試みのようです。

現在、本場所の土俵には埼玉県川越市の「荒木田土」が使われており、本場所の度にトラックに積まれて4都市へと運ばれています。

ちなみに土俵の総重量は約45トンで、トラック4~5台分の土が使われているそうです!

 

4:フルマラソンのコース測定はシビアだった

フルマラソンの距離といえば42.195kmですが、とても厳密な方法で正確に測られています。

その方法とは、自転車で計測するというもので、走行距離に応じて数値を刻むカウンターをつけた自転車で、専門の測量員がコースを走行し計測しています。

厳密に測っているのには理由があり、マラソンコースが1cmでも短かったり、逆に全体の1/1000にあたる42m以上長いと記録が無効になってしまうため、GPSのデータだけには頼らずに現地での厳正な測量を行わなければなりません。

さらに過去には50mの竹を使って50mずつコースを測る作業を数百回繰り返し、30人がかりで何日もかけて計測していた時代もあったそうです!

 

5:テニスボールが缶に入って売られているのはボールの圧を維持するため

スポーツのボールはそのまま販売されているものが多いですが、試合球として使用される硬式テニスボールは必ず缶に入った状態で販売されています。

テニスの試合球はプレッシャーボールと呼ばれ、中に入っている化学薬品が窒素を発生させることで、内側から膨らんでいます。

そのため、中の空気が抜けていかないように噛んで密閉して売られています。

プレッシャーボールは開封後1か月程で徐々に空気が抜けていき、弾みが悪くなっていくそうです!開封後はお早めにご使用ください。

 

6:パラリンピックの「パラ」とは「パラレル」を意味する

パラリンピックの「パラ」とは元々、下半身麻痺を意味する「パラフレジア」に由来する言葉で、当初は車椅子に乗る人だけが参加する大会とされていました。

しかしその後、国際オリンピック委員会と国際調整委員会によって身体障害者によるスポーツ大会を「パラリンピック」と名乗ることが決まり、それにともない従来の言葉からギリシャ語で「並行、沿う」という意味の「パラ」に変わり、「オリンピックと並行して行われるもうひとつの大会」という解釈に変わっていきました。

すなわちパラレルワールドの「パラレル」もギリシャ語が由来となっています。

 

7:フィギュアスケートとスピードスケートは貧富の差で誕生した

フィギュアスケートとスピードスケートはどちらも17世紀頃のオランダで誕生しましたが、ルーツは同じながら貧富の差によって2つの競技に分かれたといわれています。

オランダの首都アムステルダムは水路が多く、冬になると路面が凍り、一般市民は目的地をいち早く目指す競争に熱心になり、スピードスケートへと発展しました。

対して、貴族の間ではマナーや優雅さを求める芸術的なスケートが好まれ、フィギュアスケートへと昇華していきました。

現代でもフィギュアスケートを習わせるにはお金がかかりますよね。貧富の差は健在です!

 

8:100m走の歴代記録TOP5のうち、ドーピングをしたことがないのはウサイン・ボルトだけである

ウサイン・ボルト(ジャマイカ)
タイソン・ゲイ(アメリカ)
ヨハン・ブレイク(ジャマイカ)
アサファ・パウエル(ジャマイカ)
ジャスティン・ガトリン(アメリカ)

以上の5名は100m走の歴代記録保持者のTOP5ですが、ウサイン・ボルト以外の4名はドーピング検査で陽性反応が出たことがあります。

事情はいろいろあるでしょうが、信じられるのはボルトだけです!

 

9:フィギュアスケートで投げ込む用の花束がある

フィギュアスケートの演技終了後に、観客席から花束が投げ込まれるシーンがありますが、あれは日本独特の文化だそうです。

東京都文京区にある「宮田花店」ではフィギュアスケート用の花束を作っており、水を含んだスポンジを重りとしてつけることにより、スケートリンクまで届くように工夫されています。

さらに、通常より厚手の素材で全体をラッピングし、リンクに花びらやゴミが散らないように選手の演技への配慮もなされています。

宮田花店さんがスケート連盟から依頼を受け、試行錯誤の結果生み出された技術なのだそうです!

 

10:ナイキのロゴのデザイン料は35ドルだった

世界的スポーツブランド「ナイキ」の創設者であるフィル・ナイトは、大学で講師をしていた時代に、デザイン科を専攻していた生徒のキャロラインに、時給2ドルという賃金でロゴをデザインするよう依頼しました。

キャロラインは1週間以内に様々なロゴをデザインしたが、どれもフィルのお眼鏡にはかないませんでした。

しかし、印刷の都合で時間がなかったフィルは「時間がたてば馴染むに違いない」と、妥協する形で1つのロゴを選びました。それが現在もナイキのアイコンであるSwoosh(スウッシュ)と呼ばれるロゴマークです。

そして、ロゴのデザイン料としてキャロラインへ支払われた金額が35ドルで、当時のレートで約12,200円だったそうです。

ちなみに「ナイキ」という名前はギリシャ神話に登場する勝利の女神ニケが由来で、ロゴマークはニケの彫像の翼をモチーフにしているそうです!

 

11:かつて国立競技場はゴルフの打ちっぱなしだった

1964年の東京オリンピックが開催されるさらに5年前、国立競技場は臨時のゴルフ練習場でした。

これはオリンピックの開催費を補填するための政府の秘策であり、総額1兆円にものぼる財政負担を軽減するために競技場を有効利用していたそうです。

当時、国立競技場での打ちっぱなしは大人気で、あまりの盛況ぶりに陸上競技の練習をするスペースが追いやられてしまうほどだったそうです。

 

12:オリンピックのメダリストにはノーベル賞受賞者がいる

1920年のアントワープオリンピックにおいて、男子1500mに出場し銀メダルを獲得したイギリスのフィリップ・ノエル=ベーカーという選手がいました。

その後、政治家になった彼は第一次世界大戦での体験を経て、反核・軍縮活動に取り組み、1959年にはノーベル平和賞を受賞しました。

オリンピックのメダリスト兼ノーベル賞受賞者は、先にも後にもただ一人なのだそうです!

 

13:夫婦でチャンピオンになったボクサーがいる

WBOアジア太平洋スーパーフェザー級チャンピオンとなった野上真司選手と、OPBF東洋太平洋女子ライトフライ級とWBO女子世界フライ級でチャンピオンになった好川奈々選手は、2015年の7月7日に入籍し、日本ボクシング史上初のチャンピオン夫妻となりました。

地元大阪では飲酒運転撲滅キャンペーンのイメージキャラクターに起用されるなど、名物夫婦なのだそうです。

チャンピオン同士の夫婦ともなると喧嘩も世界レベルなのでしょうか。

 

14:リオオリンピックでの国歌はいつもより長かった

2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、、表彰式での国歌のテンポがいつもより遅くなっていました。

これはオリンピック委員会が国旗掲揚のときに統一感を出すために、国歌の長さを1分~1分30秒にするよう指示があったのだそうです。

通常の「君が代」は56秒ですが、リオ大会では1分17秒に延ばされていたそうです。気づいた方も多いのでしょうか。

 

15:月面で行われたスポーツがある

史上3度目となる月面着陸を果たしたアポロ14号の船長アラン・シェパードは月面でゴルフをプレイしました。

彼は地球からボールとクラブを持っていき、人類初となる宇宙空間でのスイングを披露しました。

月面の重力は地球の1/6ほどなので、打ち上げたボールは帰ってこなさそうですね!

 

16:ソフトボールはもともとボクシンググローブをボールにしていた

ソフトボールはジョージ・ハンコックという人物が始めたレクリエーションが起源だといわれています。

彼はボクシンググローブとほうきをボールとバットに見立て、野球のようにして遊んでいました。そして、室内で行っていた野球もどきがいつしかソフトボールとしてスポーツに進化していきました。

今身近で行っている遊びがいつか正式なスポーツになる日が来るかもしれませんね!

 

17:力士は車を運転できない

1985年に力士が運転する車が停車中の車に追突してしまう事故が続き、それを受けて現役力士の運転は「原則禁止」とされました。

しかしその後、1999年、2000年と現役力士による大きな衝突事故が起きてしまい、相撲協会は「力士は国民から尊敬を表され愛される存在で続けるため、交通事故を起こすなどの不祥事はあってはならない」として、規則を設けて現役力士の運転を完全に禁止としました。

力士の運転は禁止されていますが、免許の取得は禁止されておらず、若手時代や引退前に教習所に通う力士は多いそうです!

 

18:タモリさんの発言がきっかけで卓球台は青くなった

テレビでタモリさんが「卓球は根暗だ」と発言していたことが話題となっていた時期があり、その影響もあってか当時は卓球人口が減っていました。

そこで卓球協会は卓球のイメージを払拭するべく、まず白一色だったボールにカラーボールを取り入れ、それに伴いユニフォームにも色んなカラーを使えるようになりました。

そして、卓球台も濃い緑色のものが一般的でしたが、鮮やかな青色に一新し、視覚的なアプローチから根暗なイメージを変えていきました。

タモリさんは「根暗」発言を詫びて、日本卓球協会に1000万円の寄付をされているそうです!発言の影響力といい、BIG3は伊達じゃありませんね。

 

19:「ドクターX」の大門未知子のモデルは柔道の松本薫選手だった

「私、失敗しないので。」の名ゼリフでおなじみの「ドクターX」の主人公・大門未知子は、自信溢れる力強い女性像が印象的ですが、そのキャラクターが生まれるまでには苦労があったようです。

脚本家で、「やまとなでしこ」や「花子とアン」などの数々のヒット作を生み出してきた中園ミホさんは、「フリーランスで一匹狼の医者」という難しい役どころの大門未知子のキャラ設定に悩み、行き詰っていました。

そんな中、ふとテレビで放送されていたロンドンオリンピックで柔道の松本薫選手が金メダルを獲得し、インタビューで「私ミスしないので」と答える場面を見て衝撃を受けたそうです。

そして誕生したのが「私、失敗しないので。」という名ゼリフでした。

ほとんどそのままのセリフを言っていたのですね!自分がドラマの主役のモデルになるというのはどんな気分なのでしょうか。

 

20:1試合でのレッドカード最高枚数は36枚

過去に、サッカーの試合で退場処分となるレッドカードが出た最高枚数は36枚です。

サッカーは11対11で行うスポーツです。つまり、フィールド上の全選手および控えの選手までが全員退場となったということです。

そんな前代未聞の試合とは、アルゼンチンのクライポーレ対ビクトリアーノ・アリナスの試合で、敗れたビクトリアーノ・アリナスの選手が試合終了後に不満を爆発させ大乱闘へと発展し、結果的に両チームの全員にレッドカードが出されてしまいました。

どんなに不服でもスポーツマンシップはわすれてはなりませんね!にしてもよっぽど激しい乱闘だったのでしょうね。

 

まとめ

ここまでご覧いただきましてありがとうございます!

スポーツにまつわる雑学を紹介いたしました。

過去にさかのぼると現代では考えにくいような出来事や逸話がありますが、それがあっての今なのだと感慨深さすら感じます。

お好きな雑学があったらぜひ周りの人にも話してみてくださいね!

他にも雑学の記事をあげていますので、あわせてお楽しみください♪